『洗面器から顔を上げたら負け』について考えてみた。

サイバーエージェントの藤田社長の言葉に『洗面器から顔を上げたら負け』という物があります。わたしはこの表現に違和感を感じるので、今日はそのことについて自分の中の整理も含めて書いてみようと思います。

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水を張った洗面器の中で息を止める競争をしていることを言っているのでしょう。
要は『がまんしてがまんしてがまんしてきたやつが最後に勝つ、だからつらくてももう少しがんばれ』というニュアンスを伝えたいのだと思います。そこには同意です。ちょっとつらくても、少しチャレンジしてみようという気持ちは持っていたいから。ちょっとだけしんどくても、やってみることで一歩進めることがあるのは確かにそうだと思うからです。

では、なぜわたしはこの表現がひっかかるのか。
それは「洗面器に顔つっこんだまま溺死する人もいる」ことや「溺れかけた人への救済案」がないからです。わたしは基本的に献身的で耐性があるので、洗面器に顔つっこめと言われたらその通りにできると思います。我慢しろと言われたら、まあできるとも思っています。でも、そのままでいると洗面器の中で帰らぬ人になると思います。
これがわたしの引っかかる点。生命の危機を感じても顔上げちゃいけない感じがあるところ。そのままだとパトラッシュになっちゃうよ。「ねえパトラッシュ、なんだかとても眠いんだ」ふわああああ、みたいな。それはネロだ。

世の中にはそういう類いの人もいると思うんですよね。
だからそういう人はちょっと自分を甘やかしてもいいんだよ、とか「ちょwそこまでやらんでもww」みたいに救ってくれる人や救ってあげられる自分が必要なんじゃないかなと。

上記リンクはビジネスの世界の話なので「違うんだけどなー」って意見もあるとは思います。

あ、あと上記リンクで言えば人と比べているので、自分をないがしろにしがちになるんじゃないのかなと。人との競争に勝つことが大事なのかな。まあこんなふうに疑問に思う人や顔突っ込んだまま溺れる人は経営者には向かないのかもしれないので、この記事の読者対象じゃないんだろうけどね。

ずっともやもやしていた表現をまた見つけてもやもやしたので、整理がてら文字に起こしてみました。

違う表現ないのかな。もっと生死に関わらないライトだけど「時には耐えることも必要」ってわかる表現。股割りとかだと体罰っぽいのかな。お化け屋敷の脱出路とか? いや、そもそもわたしお化け屋敷入りたくないな。うーーん。ちょっと考えてみよっと。